“発達障害”という言葉、数年前よりよく聞くようになりましたよね?
心無い人からは、悪口のように使われることもあり、当事者(または傾向がある者)としては心が痛くなる言葉かもしれません。
一方で、医師から診断されたことで「納得できてすっきりした。」というような声も耳にします。
私の場合は、傾向があるものの診断には至らなかったので、もやもやとした気持ちです…。
それは、どのようなことなのか、具体的にお話します。
生きづらさがある
人間、誰しも生きづらさを抱えているものです。
しかし、困る回数が増えるにつれて、私はもしかすると発達障害なのではないか…と考えるようになりました。
私は、主にこのような悩みを抱えています。
- 大勢での会話が苦手
- 空気を読めていないような気がする
- マニュアルに無いことを言われると、混乱する
- 加減がわからず、集中しすぎてしまう
私は、双極性障害で精神科に通院しているので、医師に相談してみました。
そして、心理検査を受けることに。
心理検査の結果
2年程前に、私は心理検査を受けました。
こちらの検査は、ASDやADHDの診断材料とされることが多いです。
WAIS-Ⅲという検査で、言語性IQと動作性IQの数値に大きな開きがあることがわかりました。
私の場合は、32の差があります。
この差が大きいと、できることとできないことの差が激しいので、発達障害と診断されることが多いそうです。
(心理検査の他にも、医師からの問診等があります)
しかし、私の場合は違いました。
ASDの検査の指数は高くなく、ADHDの検査でも矛盾があり、発達障害には該当しないとのことです。
確かに、傾向はあるものの、一般的に上げられる症状にも当てはまらないものがあります。
では、この生きづらさの正体は何なのでしょうか。
私は、いったい何者…?
医師は、“個性”とおっしゃいました。
対策があいまい
心理検査の結果、私の生きづらさの原因のひとつは“個性”だと、わかりました。
個性…と言われても正直ピンとこないです。
確かに、「個性的だね。」と言われることもあります。
医師からの助言は、このようなものでした。
「できることとできないことの差が激しいから、苦手なことをするとストレスになるので、極力しない方がいい。」
上記でお話したWAIS-Ⅲは、さらに細分化できます。
私の場合は、つぎのような凸凹がありました。
- 凸(できること)…言語理解、作動記憶
- 凹(苦手なこと)…知覚統合、処理速度
このように見てみると、納得します。
確かに、私はなんだかマイペースです( ´ϖ` )
医師からのお言葉はありがたいですが、日常生活は苦手なことを避けてばかりではいけませんよね?
はっきりと診断されるほどでもないので、公言することもできず…。
私は、このようなもやもやを抱えながら日々を過ごしています。
おわりに
発達障害の傾向があるものの、診断には至らなかったことからくるもやもや等について、お話しました。
私と同じような方も、いらっしゃるのではないでしょうか?
どのように生活すれば良いのか、手探りの毎日だと思います。
人それぞれ、最善の生き方が見つかれば良いのに…と、願うばかりです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました✧*。